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1日開けてしまって申し訳ない...

組手が終われば肩の荷が降りるなんてことはなく、大学の課題が無限にあったり成人式のスピーチ原稿を書かなければならなかったり別の主催準備があったりしたせいでガッツリ体調を崩した。

大学はもう無理で休んだけどバイトは切れなさそうだったから動く、、、もうダメだ、、、しんどすぎる、、、病院に行くべきだった、、、

退勤してからまじめ駅前ラジオの健作組手回を聞いた。杜野さんの熱量がなんかしら凄いものを見た後のそれだったから嬉しかった。人を高揚させるイベントができている、、、

 

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健作組手が終わってから初めて気付いたことが2つあって、その話でもするか、、、

 

《ハレのイベントのこと》

鴨川杯が終わった時に、大喜利はもっと大衆に広がっていくべきハレの競技だと確信して、そう思わせるだけの大会であった鴨川杯にひどく執心してしまった。内輪で盛り上がるのも素敵だし(てか元々はそういう感じの文化ってエーゴさんが言ってた)、そういうのが得意な主催は別にいるから私はもっともっと明るいイベントやろう!と思い立った。継いだ形とはいえ、大喜利新勢力はそれを大喜利会の中である程度実現したものになっている。

健作組手に対してそのような意図は無かったけど、結果として大喜利を知らない母親でも5時間フルで笑って見ることが出来るくらいハレのライブになった。芸人さんをオファーしたのも単純にライブの成立を、芸人さんがネタをする劇場を借りたのも配信の画質を求めてのことだけど、「ライブとしての成立」を追い求めるほど、ハレの舞台への実現に近付いていたことに、昨日気付いた。

結果として今年の頭に感化され、主催を始め、年末にこうしてほぼ理想の形で夢を叶えられたのは、相当すごいことなんじゃないか、、、

 

《芸人のこと》

私は芸人になると思っていた。それ以外にしたいことがないと思っていたからではあるが、大喜利を初めてからその意思が揺らぐことが多かった。

健作25人組手を通して、私は芸人にはなれないんだなぁと思った。OPに少し映った私がひ弱そうながたいで、客席を見ず、通らない声でしおしお喋っている。配信で健作とAIBOさんの細かい所作を見る度に怖くなっていく。

組手は自分の持っているスキルを総動員した企画だ。学生時代から何か場所を取って会を企てたり、プレゼンで前に出てパワポを駆使して喋ったり、盛り上がるための配慮を色々したり、、、

そんな自分の強みを総動員したライブで、自分の将来を見失うことになるとは思わなかった、、、実は根っからの裏方気質なのではないだろうか、、、

 

 

 

なんて深夜に考えるから体調を崩した。健康体で年を越したい。さっき1円を落としたけど、苦しくて拾えなかった。